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有限会社ナスカ一級建築士事務所
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天草ビジターセンター+展望休憩所Amakusa Visitor Center

熊本県上天草市松島町会津6311-1

設計 古谷誠章+中川建築設計事務所
用途 博物館、無料休憩所
構造 RC+S+W
規模 地上1階
敷地 11,410.50㎡
延床 ビジターセンター427.43m2 、展望休憩所227.09m2、屋外便所60.39 m2
竣工 1994.06
受賞 1995年日本建築学会作品選奨
掲載 新建築1994.11、GA JAPAN11

小高い尾根に登り,生い茂った枝をかき分けて見ると,眼下には無数の小島が浮かんでいる。はじめてこの敷地を見て,即座にこの土地、ここの自然と共に働きたいと思った。この場所の力を借りて、ここにしかできない特別な建築をつくろう。東北地方のブナの原生林に関して、その自然に触れて人びとに自然を知らせるべきか、自然に触れずに自然を残すべきか、ひと頃新聞の投書欄をだいぶ賑わした。結局は立ち入り祭止の措置が取られたようだが、日頃目に見えないものへの愛情がはたして育つだろうか。仮に手つかずの自然があったとしても、直接見たことも触れたこともなくて、本当にその行く末を憂うることができるだろうか。原生林は無論そんじょそこらの自然とは、比べられぬほど貴重なものだが、何だか私はいまだに納得できないでいる。人と自然の間には、その素晴らしさを私たちに引き合わせてくれる、何ものかが必要だ。
建築はいろんな意味で人と自然の間を取りもつ。たとえば雨風を凌いだり、暑さ寒さから人を守ったりという、人と自然の間にあるさまざまなフィルター、つまり衣服の延長のような存在としての建築がある。あるいは風景の中にあって、それが自然であれ都市であれ、周囲の環境を顕在化させる建築がある。建築が置かれて,改めて周りの自然を強く感じさせる建築。建築は少なからずその場所を壊すことで成立する。しかし、できることならその建築が環境全体に新たな相乗関係をもたらすようにしたい。
この施設は、天草の自然を紹介するために、熊本県が設置した国立公園のビジターセンターと、土地を提供した松島町が併設した無料休憩所からなっている。いずれも人びとをここの自然に引き合わすためのものだ。自然の中にあって自らが引き立ち、同時に周囲の自然を際立たせてみせたい。風景の中に人びとを迎え入れる、いわばその端緒となるような建築をつくることに主眼を置いた。
訪れた人は石垣と、外壁と、屋根とを見ながら坂道を登ってくる。わずかに銀色味を帯びた外壁には四季折々の空の色が映る。
2 棟の切れ目に立つと、その間には遠くの島々の景色が見えている。足元の地面は微かな登り勾配になっていて、先のほうへ進むにつれて、視界にさぁーっと海面が見えてくる。ここには両棟の入口があり、このスペースに差し込む日光は、一日を通じて大きく変化する。目盛りこそないが、いわば大きな日時計の役割を果たしている。建物の海側には一切の壁がなく、展示室だろうと休憩コーナーだろうと、館内のどこからでも海と島が続いて見えている。海面の潮位は時々刻々変わり、干満のたびに広い干潟が現れ、また消えていく。
敷地は熊本方商から国道266号線を来て、天草五橋のうちの 2 号橋を渡ったところにある。このあたりは国立公園の第 1種特別地域、原則的には何も建てられない場所だ。当然、建築物に対する環境庁の規制は厳しい。屋根は直線的な勾配屋根で、切妻か寄せ棟、片流れは不可。外壁は黒かグレー系かこげ茶とし、曲線や曲面は使えない。設計者としてはいささか不自由な出発である。だがここでは、よしそれでは直線のみで、いかにして自然のもつ不定形さ、密度の細かさ、移ろいゆく性質などと調和させるかを考えようと思った。性質の異なるものの調和は、互いにその違いを明らかにしたうえではじめて成り立つ。安易に同化させようとしてただの擬態に陥ることは避けたい。屋根は切妻を原型とし、その棟線は元の尾根の稜線を踏襲している。ただし切妻の片側に合わせてカットした。こうしてできた斜めの軒ラインは、アプローチである坂道のラインとも呼応している。ランダムな振れ角をもつ床や壁のパターン、微妙に不揃いな外壁の位置、天井の傾斜方向と木造トラスの方向のずれ、これらによって建築と自然との気脈を通じさせている。壁や床に用いられた意志は、みんなで海や山から拾い集めたものを含めて全て天草の自然を展示するのだと考えた。だからわざと切れぎれに、あるいは断片として使われている。
自然との協働 と合わせて、子供との協働も図りたかった。 昨年私は本誌時評で「子供の眼」について画いた。その中で公共の建築はもっと垣根を低く、また、すべて子供たちのためのものと考えるべきだ、という趣旨の分を引用した。前段はあるお母さんからの、後段は仙田満氏のものだ。私は館の内外から、子供たちがてんでに好きな、ものを見附、子供たちが大人の手を引いて水先案内をしてくれることを望んでいる。単に情報を得るためにではなく、ここで自分の時間を過ごすためにきてくれるとよい。ほとんどの展示物が床に埋まるか、または置かれていて、これをまるで潮干狩りでも楽しむように、次々に発見してもらいたいと思った。そして目の前を見れば、常に展示と外の風景を見比べられる。あわよくばそこに物知りのお爺さんなどが現れて,おおこれはあそこの島で採れる石だとか、それを焼くとこんな色になるとか、こいつは何々というカニだとか、そいつの実は食べられるだとか,いろいろ教えてくれたりすると嬉しい。とりあえず今は、なぜか丘の上まで登ってきて、勝手に館内を歩き回るカニたちが、子供たちの人気の的で、ずいぶん私たちを助けてくれている。
こうして見るとこの建築は、実に多くの人や、さまざまなものの協力のうえに成り立っている。必ずや今後もそれを必要とし続けるだろう。今にして思えば、この仕事はそうした人やものや自然のすべてが、この場所で景色を見ながら出会うための、垣恨のない大きな「あずまや」をつくることだったといえる。

撮影 松岡 満男