ささき別荘Villa Sasaki
広島県広島市南区段原南
穏やかな更新
設計 | 古谷誠章+近畿大学古谷誠章研究室 |
---|---|
用途 | 旅館 |
構造 | RC+S |
規模 | 地上1,地下3 |
敷地 | 3,834.82㎡ |
延床 | 899.35㎡ |
竣工 | 1992.01 |
掲載 | 新建築1992.09 |
街は本来、性質の異なるものによって織りなされている。私たちは銘々がその断片を摘み取り、はぎ合わせた中に、それぞれ自分の都市空間を紡ぎ出す。また街は間断なく変容し続けている。そのさま変わりは、あたかも生物の世代交替のように、個々別々のライフ・スパンによっており、普通は同時に街全体が一新されることはない。建築や都市空間にあっても、その異なった諸世代が重複することで、文化の継承や記憶の連鎖が可能となる。そのためには都市にも建築にも、「更新」に備える何らかのアイディアが必要だ。さもなくば家や街は、その都度、その骨組ごと、ご破算にされざるを得ない。
この割烹旅館は広島の北治山の東麓に建っている。その山かげになって、この付近一帯は奇跡的に原爆の熱戦を免れた。結果、ここが市域の中でもっとも古い世代の街となり、車の走れぬ狭い街路と共に、昔の街並みがつい最近まで残っていた。だが今では日常生活にさまざまな支障をきたし、広島市ではこの一帯に大規模な土地区画整理事業を行っている。それに伴いこの旅館も木造旧館の約半分と、庭の一部が取り壊され休業中となっていた。そして周囲にはごく短時間の間に、まるで住宅展示場のように、相互に脈略なく、しかも一様に新しい街並みが出現した。
ここでの試みはおおむね次の二点に要約できる。ひとつはこの真新しい街に対して、いかに古くからの要素—数寄屋風の旧棟や山の斜面に続く庭など—を参加させるか。割烹旅館は一般的には非日常的な場といえるが、敷地に塀などを巡らさず、表の道からも奥の庭を垣間見させることで、近隣の住宅地に日常的に生活する人びとに対しても、胸襟を少し開いたようにしたかった。フェイクのような街路空間に、年月を経た個性的な表情がこぼれ出す。
もう一点は、建築空間の基本的な「構え」を崩さずに、使われ方の将来的な変化に対応するプログラムである。いかに日本料理の伝統を重んじるにしても、営業形態が今から30年以上先まで、まったく同じ形である保証はない。そこで建物全体に基幹構造としてのRC架構と、より細かい空間をもたらす鉄骨や木造の部分とを考えた。特に庭に面した客室の箇所では、恒久的な架構は厚めの壁と、片持ちの中空スラブのみとして、その他の一切の要素(つまり写真に写るほとんどすべてのもの)は交換可能とした。敷地の制約が厳しい中での不変の構えとしたのは、1,2階共に空間が北側に閉じ、庭に面して開かれていることである。北側には市の排水溝と巨大なコンクリート法面があり、逆に南側は敷地の切り売りでもしない限り、現在の環境を維持できるからである。既存の建物はこの種のものによくあるように、木造の棟を幾度か継ぎ足してできていた。それは一軒不統一なように見えても、時間をかけて穏やかに変形しながら、庭や座敷の関係を形成してきたともいえる。この建築のいわば「枝葉」に当たる部分については、今後もそのように姿を変えていけるようにしたかった。必要とあらば前庭から奥庭にかけて、庭に面する空間のすべてを、一繋がりのレストランにつくり直すことも、あるいは縁側を張り出すことも、さらには今のとは異なる間取りで、部屋を配置し直すことも可能である。この建築は、部屋の随意的な生成消滅のプログラムを内蔵している。
街に連なる多様な個々の要素は、相互に複雑に作用し合いながら、また微妙な時間差を伴いながら、休みなく変容する。ここで述べた二点をさらにひと口に要約すれば、空間の「穏やかな更新」の模索である。
撮影 古舘 克明